~ 家族が難病でも、毎日が幸せ!~
目次
はじめに
Pechiko
難病の家族をもちながら、教育関係の仕事をしていますPechiko(ペチコ)です。
娘と夫が難病、息子が難治性の病気を患い、「私は不幸なのか?」と自問自答しました。
とっても苦労した時期、辛かった時期は確かにありました。
でも、私は幸せな毎日を過ごしています。
家族が難病だって、決して不幸ではありません。
そして私は今、自分の大好きな教育関係の仕事だってしています。
「先生になりたい!」という昔からの夢が叶っています!
このブログを通して、闘病生活の苦労やそれを乗り越えたときの喜びを発信するとともに、「家族が難病でも、私は幸せ!」ということを伝えられたらと思います。
そして、教育関係者という経験を生かしてとして、家庭教育の想いについても発信したいと考えています。特に、「子どもが不登校になった際、家庭でどのように教育するか」というテーマについて、我が家の体験・経験を生かして紹介していきたいとも考えています。
まずは、家族について紹介します。
長女が「全身性エリトマトーデス(SLE)」に!?
長女が小学校4年生の時、指定難病の「全身性エリトマトーデス(SLE)」になりました。
正直、どうして うちの子が・・・。という思いになりながらも、家族全員で力を合わせて難病と闘い、約半年間の入院生活を経て、寛解に至りました。
その後は、副作用の大きいステロイド薬を、だいたい半年に1mgずつ減らし、5年半経った今は、再燃することなく過ごし、日常生活を取り戻しつつあります。
小学4年生だった長女は、今、高校生になって元気に過ごしています。
次は、長男が「起立性調節障害(OD)」に!?
長女の3歳年下の長男が5年生の時、突然、起き上がれなくなりました。
ご飯もほとんど食べることができなくなり、どんどん痩せ細り、体は弱っていきます・・・。
病院で「起立性調節障害(OD)」と診断されました。
学校にはほとんど通えず、治療は、漢方薬を飲むことしかできませんでした。本人が食べたいというゼリーやプリンを、ほんの2~3口食べるだけの毎日でした。
発症から2年経った今、やっと学校に通えるようになってきました。
小学5年生だった長男は、今、中学生になって、体育会系の部活にも入りました。
今度は、夫が「線維筋痛症」「リウマチ」「うつ病」!?
元気そのものだった夫。コロナ禍になる前には、毎年フルマラソンの大会に出たり、時にはプールで泳いだり、レース用の自転車を手に入れて「次はトライアスロンに参加したい!」とまで言っていたのですが、職場が変わって過労で倒れました。
頭痛が続き、だんだん吐き気や倦怠感、めまい、動悸、耳鳴り・・・、と様々な症状が出現し、病院からは「自律神経失調症の疑いがある」と診断され、心療内科を紹介されました。
心療内科では「うつ病」と診断され、治療を続けていました。
数ヶ月経って、今度は「全身が痛い」と訴える夫・・・。
整形外科を受診すると、「関節リウマチ」と診断されました。ですが、「関節リウマチは手の指に症状が診られるものの、全身の痛みは別の病気だろう・・・」とのことで、大きい病院を紹介されました。
大きい病院では、「線維筋痛症」と診断されました。投薬の治療を始め、少しずつですが、痛みは和らぎ始めているようです。
私は不幸なの?
次から次へと病気を発症し、ヘトヘトになりながらも何とか家族を支え続けてきた私。
そんな私に「不幸か?」と聞かれても、答えは「NO!」
むしろ、毎日が幸せです。
そりゃあ、「大変か、大変じゃないか」で聞かれると、「毎日が大変!」ですが(笑)。
家族が病気になって、たくさん涙したし、自分のやりたいことだって自由にできないことも多かったし、治療費だって馬鹿にならない!!でも、大切な家族から、命の大切さや一緒に過ごせる喜び、嬉しいことや楽しいことを共有することの大切さを教えてもらいました。
大好きな家族に囲まれ、大好きな家族と共に成長し、毎日を笑って過ごせる。それだけで私は幸せなのです。
「家族が難病だって、私は幸せ!」と自信をもって言うことができます!
このブログでは、これまでの家族の闘病の日々についてや、毎日の生活での出来事などについて発信していけたらと考えています。
難病で苦しんでいる方たちや、それを支える周囲の人たち、また病気のことを知らなくても、このブログを通して病気について知りたいと思ってくれる人たち・・・。たくさんの方々に、ほんの少しでも勇気と希望を届けられたらいいな、という思いで綴りたいと考えています。
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